放浪の旅から得たもの

tane-chan2004-11-10

●実習・・・

実習いってまいりました。もうヘットヘトです↓結局昼過ぎまでかかって、説明会はいきませんでした。スーツを着て授業うけて、説明会にいくことも考えたんですが、どうも友達みんな私服の中、スーツ着て授業受けてそのままいくのか時間的にも精神的にも辛かったので、やめました・・・ちょうど時間も遅くなって、友達たちがご飯食べようといわれたりしたので。実はこのところそういった大学の友人関係が就職活動の内定ないあるなどで溝ができてしまっていたこともあって、今回でどうしても関係修復をはかりたかったのです。

おかげさまで(?)何とか仲良くいい感じになれました☆良好に保ちつつ、卒論も本格的に集中して、何とかその中でシュウカツもしなければ・・・しかしやりたいと思える企業がありません・・・一体どうすればよいのでしょう・・・><



マシューズベストヒットソーダ第2弾速報!(ネタバレ?)


キリンビバレッジさんのHPでマシューズベストヒットソーダ第2弾の詳細がアップされておりました!

今日のマシューでも発表があるかもしれませんね!楽しみです!

キリンビバレッジさんHP

http://www.beverage.co.jp/company/news/news/2004110901/


■画像コーナー

<とある新喜劇での藤井隆さん(おそらく26,7歳)>

です!芝居の中ですねた表情をしてるんですが、この表情とっても可愛いですよね♪特に私は唇と上目遣いの目にツクターン!でした(笑)いかがでしょうか?(^^)



◇藤井さんレポ!

大阪なにわWEBでのインタビュー文③

<色々なことに挑戦したい>



股間に手をやり、「ホット!ホット!」。藤井の代表的な持ちネタだが、実際の彼は実に「クール」な面もある。新年(2000年)の抱負を問うと、「あくまで基本は新喜劇。ドラマでも、映画でも、いろんなことに挑戦したいという気持ちはありますけどね。僕にやらせてもらえる仕事なら引き受けさせてもらいます。」



97年に東京進出を果たし、全国でのレギュラー番組も増えたが「売れたとか売れないとか特別な意識はないんですよ。」地に足がついている。「もともと僕今ミレニアムとか言って騒いでる人が羨ましいなあって思うタイプなんですよ。」



芸能界入りのきっかけも自発的ではなかった。高校卒業後鋳物会社で経理を担当するサラリーマンだったが、20歳の1992年、兄が「勝手に新喜劇のオーディションに応募して合格したんです。」藤井は芸能界に特別な興味はなかった。「特にお笑い番組では知っているのはなく、新喜劇もみていませんでした」1年程は会社員と芸人の二足のワラジを履いていた。


2年後の94年に舞台に対する興味が増幅し、会社を辞めて新喜劇に専念すすことになった。「オカマ芸」が受けて、入団2年目にしてキャラクターが確立されていた。だが「恵まれてはいたんですけど、このまま続けていく自信がなくて、一旦退社して旅にでたんです。」突然の3ヶ月の休業。当時兄が滞在していたオランダなど、ヨーロッパを放浪した。


「旅して2週間くらいで本当は僕はやっぱり新喜劇が好きで、これからもやっていきたいと痛感しました。旅から帰ってきたら連絡するという吉本との約束だったんで、おそるおそる電話したらすぐに明日から来い。CMの撮影入ってるからっていわれたんですよ(笑)やめたはずが新喜劇のメンバーに戻っていました。旅に出る前と同じ”オカマキャラ”でね。」新喜劇に戻ってきて、自身への期待と幸運を痛感した。


「今の僕は新喜劇があってこそ。キャラクターがそのまま芸風になってますからね。」その分「テレビに出れば出るほど僕に飽きられてしまうんやないかって不安は常にあります。」ファンに「飽きられないように」工夫していくことが2000年の課題。どこまでも冷静に彼は将来のビジョンを見つめている。