「素の僕」と「新喜劇の僕」

tane-chan2004-11-13

●大学祭の賑わい

今日は説明会にいくのはやめ、大学の就職室で求人票をみて、室長さんなどに来週の説明会について詳しく聞いたりしました。今日は大学祭がありまして、にぎわっていました。が、私はどうもそんなにぎわえる気分ではなかったので、そのまま帰りました(^^;)


●ジャズとエスプレッソのブレイクタイム

そして帰りTSUTAYAに行きまして、今半額なんで藤井さんも好きな超オバカコメディ、マイク・マイヤーズの「オースティンパワーズデラックス ゴールドメンバー」DVDと、ジャズが好きなんで、自分が大好きな同じ兵庫県芦屋市が生んだ天才ジャズピアニスト松永貴志くんのアルバム『MOKO−MOKO』MOKO-MOKO (CCCD)を借りて、



その後エスプレッソを買って、自分の部屋で先程かりてきたのと、家にある同松永くんのデビューアルバム『TAKASHI』TAKASHI (CCCD)を聴きながらエスプレッソを飲んで癒されておりました。おかげで昨日の偏頭痛もすっかりすっとびました。

その後履歴書を清書し、写真、封筒を準備し、出す準備は整いました!後は来週の県ハローワークが主催する若者企業面談会の企業を調べて、履歴書清書のストックを作る予定です。



■画像コーナー

<天国のKiss画像②:大原先生になりきった藤井隆さん(当時26,7歳)>

の画像です!いかがでしょうか?^^


◇藤井さん雑誌レポ

<2000年4月・日経エンタ「スーパースター直撃50連発」オトコたちのココが知りたい!男優編>


ーテレビに対しては、どんなふうにとらえていますか。番組が増えてよかった点悪かった点があると思うんですけど。

●テレビはいつまでたっても「怖い」って思うんですよ。使い捨てっていうじゃないですか。たしかに「そうやなあ」と思うこともあるし、「もう嫌、もう嫌」って思いながらやってたんです。

でも、良く考えたらテレビに出て得たものの方が多いことに気付いて、なんて天狗になってたんやろうと思ったんです。使い古される前に、自分は消えてしまってるかもわからないのに、って。だから今も怖いのは怖いですけど、もうちょっとちゃんとやらないといけないと思っています。


ー一番怖かったのはいつごろ?

●2、3年前かな。「超!よしもと新喜劇」をやってたころなんて、次に別の番組に出る時も、新喜劇の衣装のままで、でも新喜劇の人は周りにだれもいないという状態で、「ホット!ホット!」で終わってたから。きっとすぐに飽きられるんやろうなと思ってたし。
自分が作った芸で自分ひとりが出てきてやるのならいいんでしょうが、僕はそうじゃない。新喜劇の中で隣街にすんでいる金持ちの坊ちゃんという役を頂いて。それを先輩たちと一緒に固めてきたオカマキャラなのに、それを持って一人だけ違う番組に出て行くのは怖かったですね。


ー吹っ切れたきっかけは?

●全部は言えないですけど、そうやっていろんな番組に出たからこそ、僕を知ってくれた人が増えて、それを励まされたということですね。子供たちからファンレターとかもらった時とか、すっごく嬉しかったですし。
僕がラッキーだったのは、最初新喜劇の舞台中継があったことですね。ベースにお芝居があることを知ってもらえた上で、バラエティ番組に出れたのはラッキー。飾らないままの僕を見てください。というのだったらアウトやったと思う。素の僕に、人様にお金をもらえるようなものって何もないから。


ーテレビではハイテンションだけど、実は礼儀正しくて、シャイという面も、だいぶ知られてきたんだと思うんです。でも、世に言われている素顔もまた、ほんとは違うんだけど、という思いはないですか。


●う〜ん確かに違うねんけどなあ、というのはあるんですけどね。よくトーク番組で・・・・


☆この続きは次回に!こうご期待です!(笑)